2012年 12月 15日
シュヴァルツェ・カッツ(「黒猫」) |
シュヴァルツェ・カッツ(「黒猫」)
ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ(Zeller Schwarze Katz)は日本で最も有名なドイツワインであり、ワインを飲む人なら誰でも知っている銘柄である。そのエチケットのデザインは生産者によって異なるが、ほとんどのエチケットには「黒猫」が描かれている。
シュヴァルツェ・カッツの名は、モーゼルのツェル村に昔から伝わる「黒猫が乗った樽のワインは美味しい」という伝説に由来している。
今から140年ほど昔のこと。アーヘンの都から3人のワイン商人がツェル村にやって来た。村一番のワインを買いつけるため、酒蔵を一軒一軒訪ねた。樽の試飲があらかた終わり、いよいよ売買契約が交わされようかという段になったが、商人達は未だ最上の樽を決めきれないでいる。殊の外できの良い三つの樽を前にして試飲を繰り返していると、それまで、何処に潜んでいたのか、一匹の黒猫が三つの樽の中の一つの樽に乗った。そして背中を怒らせ、毛を逆立て、鋭い爪の前足で空を引っ掻き、一歩たりとも近寄ることを許さないというような姿態で威嚇した。これを見た商人達は迷うことなく、その樽を買って行った。
黒猫が身をもって守ろうとしたワインは、ツェル村きっての銘醸畑「Petersborn」と「Kabertchen」からのものだった。出来事はやがて村中に広がり、双方の畑から取れたワインは、いつしか「黒猫」と親しみを込めて呼ばれるようになっていった。
1926年のこと。ツェル村から10キロほど離れたライル村で「黒猫」の名前で商売をしている蔵があった。「黒猫」はツェルだけのもの、不当に名前を語るとは許せない、と訴訟になったが、「黒猫」は土地台帳に登記された名前ではなく、愛称であるので、誰でもその名前を使う権利があるという結果になった。
「黒猫」の評判が年々高まっていく中で、「黒猫」がいるなら「白ネズミ」があってもいいだろうと、これも訴訟となった。そんな紛らわしい、人騒がせなことは許可できないということでいつしか消えていった。こうして「黒猫」がツェルの特権と化していくと、妬みが生まれ、不当を訴える者が後を絶たず、不正も横行し始めた。ツェルでは「黒猫」の収穫が未だだというのに、もうその年の黒猫がうろつき出し、ツェルだけではとても生みきれない数の「黒猫」が、我が物顔にのさばりだした。
論争、調停、そしてとうとう「黒猫」は2度にわたって拡張され、1971年「新ドイツワイン法」が発令されると、Schwarze KatzはZell、Merl、Kaimt村に属する16のブドウ畑を包括するグロースラーゲ(集合畑)に生まれ変わることになる。初めは30ha程度だったのが630haにまで拡張され、ようやく「黒猫」をめぐる争いは収まった。
このワインが「聖母の乳」と同様、集合畑の混醸大量生産に変わり、日本では一時期「安くて甘ったるいドイツワイン」の代表として低く認識され、その評判を落とした。確かに本来の個性を失ったのは非常に残念である。しかし、シュペートレーゼクラスになれば酸や果実味がしっかりしており、まだまだ捨てたものではない。特に焼き肉や中華料理のお相手としては量販店やコンビニで売られているクラスで十分である。
私が初めてモーゼルに行ったとき、まず最初に訪れたのはやはりツェルだった。絶対に黒猫が街の真ん中の噴水にいるに違いない、そう思ったのである。やはり黒猫はそこにいた。そして黒猫は私を暖かく迎えてくれた。感激の瞬間だった。ドイツワインにはこんな愉しみ方もあるのである。私は黒猫が見えるレストランで、おいしい「黒猫」と料理をいただいた。
ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ(Zeller Schwarze Katz)は日本で最も有名なドイツワインであり、ワインを飲む人なら誰でも知っている銘柄である。そのエチケットのデザインは生産者によって異なるが、ほとんどのエチケットには「黒猫」が描かれている。
シュヴァルツェ・カッツの名は、モーゼルのツェル村に昔から伝わる「黒猫が乗った樽のワインは美味しい」という伝説に由来している。
今から140年ほど昔のこと。アーヘンの都から3人のワイン商人がツェル村にやって来た。村一番のワインを買いつけるため、酒蔵を一軒一軒訪ねた。樽の試飲があらかた終わり、いよいよ売買契約が交わされようかという段になったが、商人達は未だ最上の樽を決めきれないでいる。殊の外できの良い三つの樽を前にして試飲を繰り返していると、それまで、何処に潜んでいたのか、一匹の黒猫が三つの樽の中の一つの樽に乗った。そして背中を怒らせ、毛を逆立て、鋭い爪の前足で空を引っ掻き、一歩たりとも近寄ることを許さないというような姿態で威嚇した。これを見た商人達は迷うことなく、その樽を買って行った。
黒猫が身をもって守ろうとしたワインは、ツェル村きっての銘醸畑「Petersborn」と「Kabertchen」からのものだった。出来事はやがて村中に広がり、双方の畑から取れたワインは、いつしか「黒猫」と親しみを込めて呼ばれるようになっていった。
1926年のこと。ツェル村から10キロほど離れたライル村で「黒猫」の名前で商売をしている蔵があった。「黒猫」はツェルだけのもの、不当に名前を語るとは許せない、と訴訟になったが、「黒猫」は土地台帳に登記された名前ではなく、愛称であるので、誰でもその名前を使う権利があるという結果になった。
「黒猫」の評判が年々高まっていく中で、「黒猫」がいるなら「白ネズミ」があってもいいだろうと、これも訴訟となった。そんな紛らわしい、人騒がせなことは許可できないということでいつしか消えていった。こうして「黒猫」がツェルの特権と化していくと、妬みが生まれ、不当を訴える者が後を絶たず、不正も横行し始めた。ツェルでは「黒猫」の収穫が未だだというのに、もうその年の黒猫がうろつき出し、ツェルだけではとても生みきれない数の「黒猫」が、我が物顔にのさばりだした。
論争、調停、そしてとうとう「黒猫」は2度にわたって拡張され、1971年「新ドイツワイン法」が発令されると、Schwarze KatzはZell、Merl、Kaimt村に属する16のブドウ畑を包括するグロースラーゲ(集合畑)に生まれ変わることになる。初めは30ha程度だったのが630haにまで拡張され、ようやく「黒猫」をめぐる争いは収まった。
このワインが「聖母の乳」と同様、集合畑の混醸大量生産に変わり、日本では一時期「安くて甘ったるいドイツワイン」の代表として低く認識され、その評判を落とした。確かに本来の個性を失ったのは非常に残念である。しかし、シュペートレーゼクラスになれば酸や果実味がしっかりしており、まだまだ捨てたものではない。特に焼き肉や中華料理のお相手としては量販店やコンビニで売られているクラスで十分である。
私が初めてモーゼルに行ったとき、まず最初に訪れたのはやはりツェルだった。絶対に黒猫が街の真ん中の噴水にいるに違いない、そう思ったのである。やはり黒猫はそこにいた。そして黒猫は私を暖かく迎えてくれた。感激の瞬間だった。ドイツワインにはこんな愉しみ方もあるのである。私は黒猫が見えるレストランで、おいしい「黒猫」と料理をいただいた。
by germanwines
| 2012-12-15 20:22
| モーゼル・ザール・ルーヴァー